『妥協男の逆転劇』
『妥協男の逆転劇』
畑中 翔太
茨城県 東洋大学附属牛久高等学校卒業
早稲田大学法学部合格 / 早稲田大学社会科学部合格
明治大学政治経済学部合格 / 明治大学商学部合格
「こんな自分でもやりゃできんだな・・・」
ずーっと自分のことが嫌いだった自分が、自分の将来が何も見えず悲観していた自分が、早稲田に合格したときに実感した率直な気持ちだ。周りを見返したいという絶えない気持ち、継続した適切な努力、そして道塾を始めとする恵まれた環境、どれか1つでも無かったならばこの合格は成し得なかったものだと、今になって思う。
自分は、中学、高校と「妥協男」というあだ名を持つくらいの根性なしだった。
中学の時にやっていた野球は途中で辛くて辞め、代わりに始めたテニスもさぼりがちであった。「あんたを推薦でとってくれる高校はない」と中2の担任言われ見返すつもりで始めた勉強も、中3の後半に現実逃避を繰り返して結局受験に失敗した。家から近いからという理由で入った高校でも部活はサボってばかりで、定期テスト前の勉強すら逃げていた。テスト前に皆で図書館に勉強しに行く時には「お前と来ると流されるわ~」といわれる始末。
そんな自分も高2の春となり、「推薦か一般受験か」の選択を迫られる時期となった。
自分としては当然、高校受験の失敗もあり、「ここで気合入れて受験で逆転してやる!」と思っていた。しかし、日頃の態度及び2つの他大学進学クラス中「ビリ」ということもあり、1、2年時に所属していた他大クラスの選抜に漏れてしまったことから、推薦クラスでの受験勉強が開始された。クラスでは自分以外、皆が専門か推薦。その時点での偏差値は3科目40。圧倒的に希望が見えなかった。
こういうときに頑張れる人間というのは、自分の努力で未来をつかんでいくものなのだろう。だが一方の自分は、妥協に妥協を重ねた。三年間勉強を避け続けた習慣のおかげで、脳が、体が全力で勉強を拒む。最終的に推薦組の雰囲気に流され、12月の直前期も教室が動物園状態。それを言い訳に勉強をせず挫折。結局偏差値も大して上がることも無く、現役での受験は全滅に終わった。こうして全落ちしたあとの春に、中学の友達で集まって遊んでいる時に言われた言葉がある。
「お前って結局全部妥協じゃん」
振り返ると、確かにそうだった。周りのやつを見渡してみると、部活であれ、勉強であれ、何かを頑張っていたやつが大半であった。一方の自分は何も確信がもてない。仲良くしていた友達が凄く上の存在である気がしたと同時に、ここで見返すしかないな、と思った。こうしてようやく本格的に受験勉強が始まった。
勉強の方法については、現役の時にいろいろと調べていたし、お金はそんなに使えなかったので、予備校ではなく自分の力でやりたいと思ってはいた。しかし進学実績のない高校出身で、偏差値は40代、おまけに根性がないというところからのスタートである。やはり一人では難しいかな・・・と思っていた時にネット上で「早稲田の道」というスレッドを発見した。
今までいろいろな勉強方法を見てきたがそこには独特で有用な記憶の方法、勉強だけでなく生活全般にわたる幅広い受験における戦略など、有用な知識がたくさん書かれてあり、さらにスレ主であるuさんの経歴、考え方や精神論を読んで感動し、さらなる気合が入り、この人なら信頼して一年間アドバイスがもらえると思い、道塾へ入塾した。
最初の頃は勉強を家ですることを習慣化する戦いから始まり、目標の八時間にはなかなか届かなかった。しかし自分なりのペースでやっていき、段々と勉強時間が増え、毎日勉強が出来るようになった。成績もそれと比例するように伸びた。模試での成績表の返却が楽しみになるほどであった。電話担当のヤスさんも自分の成績が伸びると自分のことのように喜んでくれてやる気につながったし、うれしかった。
また、一人で勉強しているとなかなか出来ない「客観的に自分を見て、合格までの最短ルートを進む」という作業を、週一の報告とそれに対する電話のアドバイスでしてもらったことは本当に大きかったと思っている。夏に決断した世界史選択から政経選択への変更や、現代文の単科受講。自分一人でやっていたら絶対に進めなかった最善のルートを指し示してくれたことは、合格理由の大きな割合を占めると思う。
こうして宅浪生活はあっという間に過ぎ去り、直前期となった。
直前になって模試の成績が停滞し、精神面で自分に負けてしまったり、母親を責めることで責任転嫁をしたりと、やはり理想通りにはうまくはいかなかった。しかし絶望感に打ちのめされ、また妥協したくなる度に「ここでやりきらなかったら結局皆を見返せない」という気持ちが湧いた。この気持ちを思い起こすたびに机に向かい、現役の時には1日3時間が限界だと思っていた自分が、直前期には毎日14時間の勉強を出来るまでになっていた。
・・・2月22日。早稲田の社会科学部の受験が終わり、受験生活は幕を閉じた。と同時に、法学部の発表日。受験が終わりすぐさま結果を知る親の元へ。まさか受かっているわけはないだろう・・・そう思いながらも、親に聞くと「落ちてたよ・・・。」
やっぱり。まぁ、ダメでもともとでやってたからな・・・そう思いながらも、母はネットでの発表を見て知ったとのことだったので、不合格の確認のつもりで電話した。
「・・・オメデトウゴザイマス。ゴウカクデス。・・・クリカエシマス。オメデトウゴザイマス。ゴウカクデス。」
夢か!? 何度電話をしても信じられなかった。「ウソ!!ホントなの!?え!?」母はこの問いをただひたすらに発していた。俺は訳がわからずひたすら叫んでいた。後に母が見たネットでの合格発表は、見た段階ではまだ途中までしか更新されていなかったために載っていなかったことが判明した。このときの喜びは間違いなく人生で一番のものだった。 今、自分の一年間を振り返ると、一年前のスタート地点、全落ちの悔しさで泣いた時の事が、ついこの間のように感じる。あの「妥協男」であった自分が、早稲田に受かるなど誰が考えただろうか。これからもいい意味で周りの期待を裏切れるよう、全力で生きたいと思う。
















