『翻弄、無計画、右往左往、紆余曲折、でもって合格』
『翻弄、無計画、右往左往、紆余曲折、でもって合格』
高瀬屋 侑生
愛知県 名古屋国際高校出身
同志社大学商学部合格
僕は非進学校の英語の高校に進学しました。
理由は留学が出来、バイリンガルな交流が図れるからです。ごめんなさい嘘です。只勉強していなかっただけです。
高一の夏に彼女ができ浮れていました。高二に『早稲田への道』を偶然見つけ、感化され早大目指して英語の勉強を始めました。そして無事留学も成功に終わり、抜き打ちの英検2級のテストがありましたが、平均点+50で1位だったのを覚えています。少し英語に自信が付き、脳内は早大の妄想一色でした。そして他教科も難なく成績があがりました、と書きたいですが、高2の冬にある出来事が。彼女が「東京に行くなら別れる」と言い出したのです。僕は地元に留まる事に。でも志望校を下げるのは嫌だったので、一浪で国立を目指すことに。高3の4月から挫折しつつ中1の数学からやっていきました。しかし恋人と上手く行かず結局7月に破局。「ここで私立にしたら3ヶ月分の数学が無駄だ!」と思い志望は変えず、数学だけを毎日やりました。大学はどこも受けず浪人しました。予備校は本科に入りましたが、自習に追われて授業を上手く利用できませんでした。しかも成績が芳しくなく、他教科もあるので不安が募りました。 そして7月末に転機が。遅刻して本屋で時間つぶしに立ち読みしていたら、偶然本の中に「お前には国立は無理だ」という台詞があり、やっと目が覚めました。ここから私文に転向。ここまでで15ヶ月間ほぼ数学だけに費やしていたのが無駄に。ちなみに15ヶ月数学に費やして得たのは、数字とxと中括弧を書くのが無駄に上手くなった事だけです。受験ではばっさり切って振り返らない勇気も必要だと思います。
この様な事情があり、浪人後期からが本当の受験勉強の始まりになります。残り半年。駿台模試英語偏差値60以外ほぼ0からのスタートでした。早稲田への道を見直していたら偶然道塾の存在に気がつき、即道塾の門を叩きました。憧れの早大を半年で目指すことになります。
生半可な努力では当然無理なので、道塾に入り、前期と違い、根本的に勉強に対する姿勢を変えました。予備校はわかりやすいですが効率が悪く、自分はやったフリだったので後期は予備校の授業を全て切り、自習室だけ利用しました。前期に比べ明らかに成績の伸びが違っていたのを覚えています。たまに息切れしましたが、三井さんのお陰でまた歩く事が出来ました。後は塾報の質の良さに驚きました。難関を突破した現役早大生の受験のいろはが毎週送られてきます。特に25号の塾報に感化され本気でやりました。通学時間すら無駄に感じ、宅浪にしました。一番やったときは、翌日に支障を来さない範囲で一日16.5h/週100hとかやりましたね。今は狂気の沙汰としか思えません。けど、本気でやった分、反動も大きかったです。11月初めの模試で、勉強滅茶苦茶やったし早大志望なんだから、センターの模試で英語は最低80%は取れていないと駄目だろ、と思っていたのですが、 12月に帰ってきたのは154/200で77%。政経も80%行ってて欲しいと思いつつ凡ミスで73/100で73%。国語にはほぼ手を付けていなかったので酷さは言うまでも無く…。今まで遮二無二只愚直に進んできましたが、初めて早大への「距離」を実感し絶望しました。それから志望校を同志社に変更したものの、一ヶ月半勉強しませんでした。一ヶ月前の成績だから今とは違うと思えばよかったのですが…。模試の試験はほとんど気にしないことが一番ですよ。
センター試験も願書は出しましたが、受けるのは時間の無駄だ!勉強に回そっかな。と思い、受けませんでした。代わりにネットしてましたけど(笑)回復した時には入試2週間前でした。徹底的に底まで沈むことも大事だと思います。1.5ヶ月は長すぎですけど。勉強は少しだけやりました。直前期は『同志社の英語』が役立ちました。赤本は普通三教科一セットで解くものなのですが、これで英語に対策を集中でき、本番で85%得点。同志社は6学部受けました。六日間精神状態がやばかったです。二浪の事しか考えられませんでした。しかし、結果商学部だけギリギリ受かってました。
8月からの4ヶ月半でここまでもって来れたのは勉強に対する姿勢を矯正してくれた他の何者でもない道塾のおかげでした。本当にありがとうございました。
















