プロフィール
- 大学 … 東京大学工学部システム創成学科3年
- 出身 … 徳島県
- 担当 … 国立理系
- 得意科目 … 数学・物理
■考えない子ども■
徳島の実家で生まれ、すぐに茨城へ。
特に自分で物を考える人間ではなく、習いごとも勉強も受動的な子どもだった。
自分から勉強することはあまりなく、親にやらされていることをただこなしていくといった、ありがちな経歴である。
教育熱心な親のおかげもあり、中学受験を経て某名門私立中学に入学した。
中学に入っても受動的なところは変わらず、なんとなくで選んだ部活に打ち込めることもなかった。
そして徐々に成績は下がっていった。
■絶対やらないというやる気■
成績の悪化を見かねた母親の勧めで、塾に通うことに。しかし、通い始めた塾の宿題量は多く、そのせいで休みが潰れるという生徒が大量にいるほどだった。
普段から勉強する癖のついていない自分がとてもこなせる量ではないのは明らか。時間のすべてを宿題に費やす人間にはなりたくない、と学校と塾での授業中のみ集中しようと決意。その時間内でひとつ残らず理解していくという方針を採った。
このやり方で実際に大学に合格した先輩がいる、そのうわさを耳にしたことも、大きな後押しであった。
おかげで生活にもメリハリがついたのか、成績は上昇。気がつくと学校内で20番前後という成績を保つまでに至る。
そのまま受験前でも特に焦ることもなく、余裕を持って生活していた。普段と変わらない生活だったからこそ緊張も最小限に済み、適度なテンションで当日迎えることができた。そして、センター試験や二次試験では共に自己最高点を記録しつづけたのである。
■偶然のきっかけから■
大学に入ってもしばらく、自分で何かをやろうという考えを持つことはなかった。
やりたいサークルもあいまいで、友人に誘われては遊びに行くという非常に受動的な日々が続いていた。
そんな中、友達の誘いで学園祭実行委員をやることになる。出会ったのは、今までにない刺激的な人々だった。
自分の視野の狭さや考えの浅さを実感し、今からでも変わってみせると心機一転。
2年に上がるころには学園祭実行委員の委員長にも立候補し、無事信任された。このとき、人生で初めて誰かの上に立つ役職に就いたのである。
慣れない立場に戸惑いながらも、この重役を何とかやり遂げたことは大きな自信となった。
大学に入ってからでも人は変われるのだと信じ、今もバイトやサークル、勉強会など精力的に参加している。
■塾生にメッセージ■
自分が多趣味な人間というのもあるけれど、「自らの興味や関心の枠に捉われない」というのを薦めたい。
普通は自分の興味のないことにはあんまり知識を持っていないと思う。
でも、知らないということは知る機会があるということ。そのまま放置したらもったいないのだ。
そして、その知を元に、より大きい視野を持って生きてほしい。
そこに限界はないだろうから。

















