プロフィール
- 大学 … 早稲田大学社会科学部2年
- 出身 … 兵庫県
- 担当 … 私立文系
- 得意科目 … 英語・日本史
■中学での英語との出逢い■
3人兄弟の末っ子として育てられ、いつも遊んでばかりいた。
小学生の頃から、学校の授業中にはお喋りで怒られ、休み時間は運動場で元気に遊びまわっていた。
しかし、中学から学び始めた英語だけ、何かの縁で専門塾に通うことになり、毎日勉強するほどのめりこんだ。最終的には定期テストで満点をとり、周囲を騒がせるまでに成長した。中学3年次にはアメリカのワシントンに学校代表で2週間派遣させてもらい、初めて生の英語に触れた。この海外派遣が後の進路決定で大きな影響を与えた。
しかし、高校受験では地元の名門である関西学院大学高等部を受験するものの、残りの数学国語が全くできず失敗してしまい、未練だけを残すまま地元の偏差値43程度の西宮市立西宮東高校に入学。
■早稲田のオープンキャンパスに赴いて■
高校受験での失敗を大学受験で巻き返そうと決意し、関西学院大学以上の大学を狙うことにした。
両親に「大学でも英語を勉強したいねんけど、一番英語が充実している大学ってどこなん?」と聞いたところ、親は「上智大学ちゃうか」と一言。
高2になり、英語の先生にも親と同様の相談をすると、同じように「早慶上智が英語は一番難しい」と言われ、初めてひとりでオープンキャンパスに参加してみることに。早稲田と上智のオープンキャンパスが同日だったため、先に早稲田を見学することに。
早稲田に到着すると、突然応援団がステージで校歌を熱唱し、その場にいた学生たちが大声で熱唱し始めた。自分はその場で圧倒されてしまい、「大学で皆が皆こんな校歌やら応援歌やら歌えるようなとこ、関西にはあらへん。ほんまにアツすぎる!」と、一瞬で早稲田の校風に引き込まれた。結局上智の見学は取りやめ、このオープンキャンパスで志望校は早稲田大学に即決した。
日本史や国語も入試本番まで、すべては早稲田大学合格のために必死に勉強したが、実際には勉強した 「つもり」になっているだけでほとんど中身が伴っていなかった。
その結果、早稲田5学部だけでなく、滑り止めの立命館大学5学部もすべて落ちてしまう。
■一から出直し■
浪人するかどうかを巡り両親と口論、父親を泣かせてしまった。
本当に親に申し訳ないという気持ちと、自分の人生は自分で決めたいという思いの間で葛藤したが、もう一度早稲田を目指させてほしいと頼みこんだ。予備校での浪人が許されると、そこからなぜ落ちたのかを徹底的に分析し、プライドもすべて捨てた。一から基礎を再構築し、勉強法を改めることにした。
浪人という苦しい1年の中でいかにモチベーションを持続させれるかを考えた結果が、毎朝予備校まで道のりで一人小声で「紺碧の空」を歌うことだった。これは一生の思い出となっている。
「早稲田への憧れ」、それだけが自分を毎日机に向かわせたすべてだった。絶対に悔いの残らないよう、自分で納得のいくだけの勉強量をこなした。特に、日本史に関しては早大の全学部、計120年分を徹底的に分析した。その結果、社会科学部の入試本番で見事に予想が的中。自称「気合枠1名」で合格を勝ち取った。
大学入学後はキャンプやサッカーのサークルに所属するほか、早稲田大学の名物イベントである「100キロハイク」や野球やサッカーの早慶戦などにも積極的に参加し日々早稲田愛を感じ取っている。
何事にも「徹底した現場主義」であり続けたいと感じ、日本だけでなく海外にも積極的に視野を向けるようにし、実際に今春には中国内蒙古自治区での砂漠緑化のボランティア活動にも参加。日本では想像もしない生の異文化の世界に触れた。これから先もさまざまな未開拓世界に踏み入れてゆくいくつもりである。
■塾生にメッセージ■
みなさんにはとにかくいろんな場所に赴いて、自分の目で確かめ、そして感性を高めてほしいです。
道塾で働く理由は、自分が経験してきた失敗を同じように後輩にしてほしくないから。
そのために、単なる勉強法ではなく、たとえば未来像がつかめない生徒に対しては、大学での活動経験を語ることで少しでも夢を持たせたり、勉強面では受験時代の失敗談からの教訓や独自の気合注入法などを伝授したいと思っています。

















