プロフィール
- 大学 … 早稲田大学政治経済学部国際政治経済学科1年
- 出身 … 埼玉県
- 担当 … 私立文系
- 得意科目 … 世界史
■学校になじめない■
ひとりっ子のB型。放任主義の親のもと、自由にのびのびと過ごす。新体操や水泳、絵画教室など興味のあることはなんでもやらせてくれた。
小学校にあまり馴染めず、自分から言い出して中学受験をする。しかし、第一志望に落ち、大きな劣等感を抱えたまま滑り止めの県内の私立中学に進学する。楽器まで買った吹奏楽部も半年で辞め、ここではないどこかに面白くて楽しいことを探していた。
そんなときに見つけた新聞記事の「ジュニア記者募集」の文字。迷わず応募し、中2の春から読売新聞文化部ヨミウリ・ジュニア・プレスで記者活動を始めた。自分たちでネタを探し、企画書を書き、取材をし、原稿を書く。その面白さにのめり込んで活動は高3まで続けた。
同じく中2のころ、大学は早稲田の政治経済学部に進学したいと思い始めた。中学受験のときの恩師の出身校だった影響だ。当時、先生の齢は50近く。卒業して25年以上経ってもなお楽しかったと繰り返すその姿は、学校に相変わらず馴染めなかった私にとても眩しく映った。
■アルバイトの日々■
高校入学と同時にピザ屋でアルバイトを始める。大学付属の中高一貫校だったため、親はそのまま付属大に進学させたがったし、私の高校は毎年ひとり早稲田が出るか出ないかのレベルである。だから受験料と予備校の授業料を自分で稼げば文句は言われないだろう、という考えのもと、学校の勉強はそこそこに高2の夏までバイトを2つ掛け持ちして、必死に働いた。1日に12時間以上働いたこともあった。
高2の夏から頭を切り替えて受験勉強を開始。偏差値は50から55くらい。早稲田政経に行きたいと言ったら、高校の先生に笑われ、無理だ、うちの高校から早稲田政経は出ないと言われた。無理ってなんだよ、私の未来を勝手に決めるな、と悔しくてさらに勉強した。
5年間の読売の活動、市の海外派遣事業でのカナダ短期留学、日本・イスラエル・パレスチナ学生会議への参加、2つの論文コンクールでの優秀賞と所長賞で、早稲田大学政治経済学部にAO入試合格。受験終了後から大学入学まではまたアルバイトの日々だった。
■大学はまるで白地図■
沢木耕太郎『深夜特急』に憧れて、サークルは世界旅行研究会に所属。目標はユーラシア大陸を横断すること。
必修の多い国際政治経済学科で単位取得に追われながらも、道塾と放送局での仕事にやりがいを見出している。楽しくて面白いことがあふれているこの大学で、次はなにに挑戦しようかとわくわくしている。
■塾生にメッセージ■
夢を夢で終わらせないで。送ってきた人生がどんなに腐ったものでも、そこで「どうせ自分なんか」とはじめから諦めてし まったら、せっかく夢を持ったきみがもったいないよ。
自分を変えたいと思ったら、そこがスタート地点。私は全力でサポートします。

















